韓国(朝鮮)三大悪女の悪行の限りをご覧あれ!!
韓国(朝鮮)三大悪女と
いえば以下の3人。
張禧嬪(チャン・ヒビン)
張緑水(チャン・ノクス)
鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)
悪行の限りを尽くした
韓国(朝鮮)三大悪女をまず
は簡単に説明しましょう。
①張禧嬪(チャン・ヒビン)
リンチと毒殺を計画
②張緑水(チャン・ノクス)
王にも劣らぬ暴君
国費を浪費でカラに
③鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)
冤罪
焼き殺し
毒入り餅
呪い殺し
上記を見ただけで、
韓国(朝鮮)三大悪女
の悪行の限りがおわかり
だと思います。
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それでは、韓国(朝鮮)三大悪女
の詳細を記述します。
①張禧嬪(チャン・ヒビン)の詳細
生年月日:1659年11月3日
没日月日:1701年11月9日
下級身分から王妃にまで成り
上がった唯一無二の女性。
類まれなる美貌から、最初に
王の側室となった。
恐ろしい野望を持っていた
張禧嬪は、側室の最高位
まで駆け上りました。
王妃に子供ができない事を
理由に、王を話術巧みにた
ぶらかし、王妃を離縁させ
追放した。
そして遂に張禧嬪が王妃の
地位についたのです。
王妃になって数年後、張禧嬪
の側近の勢力の著しい台頭に
危険を察した王が、元の王妃と
復縁し、張禧嬪を側室に降格
させたのです。
怒り狂った張禧嬪は、王妃や
他の側室の毒殺やリンチを
企てましたが・・・・
これらの悪行はすべて、白昼のもと
にさらされてしっまたのです。
当然のように張禧嬪は42歳の
若さで処刑されました。
この事件の後、側室は王妃
になれないという法律ができ
たというのだから、国や歴史
を変えるほどの悪女だった
事がうかがえますね。
②張緑水(チャン・ノクス)の詳細
生年月日:不詳
没年:1506年
この時代の王である燕山君は
最悪の暴君であり独裁者でも
ありました。
王にも劣らぬ暴君であったと
言われるのが張緑水です。
卓越した芸術的才能と夜の才能
を合わせもち、日本でいう娼婦から
側室まで成りあがった女性である。
ゆき過ぎたほどに派手を好み、
毎日続けられた豪華な宴会に
より国費が失われたとも言われ
ています。
その横暴の限りが庶民や家臣
を苦しめ、我慢の限界から
クーデターが発生し、王は追
いやられ病死。
張緑水は斬首刑という無残な
最後となった。
張緑水の遺体は石を投げつけ
られたそうです。
③鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)の詳細
生年月日:不詳
没年月日:1565年11月13日
王の第3継妃であった文定王后
の弟の側室となったのが始まり
である。
王の死後、第2継妃の息子である
仁宗が王位に着くがわずか9ヶ月
で31歳の若さで死去。
その後、第3継妃文定王后の息子
である明宗がわずか10歳で王位に
ついた。
幼い王に代わり最高権力を手中に
おさめ政治を担ったのが、文定王后
と鄭蘭貞である。
策略に長けた鄭蘭貞は邪魔者を
次々と、呪詛、放火、冤罪、毒殺
などの悪行で殺していった。
ちなみに先代の王である仁宗
を焼き殺そうとしたのも、毒入り
餅を送ったのも鄭蘭貞であると
言われています。
史実上では書いてありませんが、
実際は仁宗も鄭蘭貞の策略に
より殺されたのかもしれませんね。
このような悪行の限りを尽くした
鄭蘭貞も文定王后の死から、
失墜する。
最後は王宮を追放され、
服毒自殺という最後を遂げた
最後に中国の三大悪女を紹介
した動画がりましたのでご覧
ください。
閲覧注意だそうです。