マンモスの大きさ!最大は日本にいる松花江マンモス?体重20トン!

 

マンモスの大きさ・・・ってどれくらい

なのでしょう?

すごく大きいイメージがありますよね。

 

 

マンモスの大きさでいうと、

最大かもしれないと言われている

マンモスがいます。

 

中国で発見された松花江マンモス

という種類です。

 

体重は20トン、マンモスの高さは

5メートルを超えます。

 

その松花江マンモスが、日本に

いるの?

 

 

○マンモスの大きさは?

○日本にはナウマン象とマンモスがいたの?

○マンモスの絶滅理由は?

○マンモス講座♪

 

以下は、(マンモスは、怖いと

思ったのに…こんなに、可愛く

作っちゃうんですね。)という

動画です。

 

 

マンモスの大きさは?

マンモスの牙の大きさは、最も長くて「4.5メートル」で、

重さは「100キロ」もあったそうなんですよ。

 

牙だけでも、かなり大きいですよね。

 

マンモスと今の象の大きさを、比べてみましたよ。

 

みんなが普通に言うマンモスは、「ウーリーマンモス」のことです。

 

ウーリーマンモスの体の高さは「3メートル」から「3.5メートル」

なんですよ。

 

アフリカ象の大きさは、体の長さは「6メートル」から「7.5メートル」

で、体の高さは「3メートル」から「3.8メートル」なんですよ。

 

マンモスは巨大なイメージがありましたが、ウーリーマンモスに関して

言えば、アフリカ象より少し小柄なくらいでちょっとがっかり・・・

 

しかし、まだまだ実は巨大なマンモスは存在していました。

 

インペリアルマンモスの牙の根元の周りが「63センチ」で、重さが

「154キロ」あったそうですよ。

 

中国で発見された松花江マンモスは、牙も合わせた体の長さは

「9メートル」以上になり、体重は「20トン」ほどあったと

いうことです。

 

20トン・・・つまり20,000kgです。

 

世界最大であるかもしれないと言われているほどです。

 

松花江マンモスの体の高さは「5メートル」以上ですよ。

 

そして、松花江マンモスの標本がなんと日本にあるのです。

 

茨城県自然博物館に展示されています。

 

日本にはナウマンゾウとマンモスがいたの?

ナウマン象は、日本に生きていた象の種類であります。

 

実際に生きていた年代ははっきりとはしていませんが、近い年代だと

65万年前から42万年前頃にはナウマン象はいたのではないかとい

うことです。

 

だいたい2万年前くらいから減っていき、1万5千万年前の

新生代更新世時代の後期までは生きていたとされています。

 

ナウマン象はゾウ目ゾウ科に属しており、今のアジア象と近い存在

であったようです。

 

大陸からもナウマン象と思われる化石を掘り出した例があります。

 

ですが、日本で生きていたナウマン象と同じ種類かどうかは

今もまだわかっていません。

 

肩の高さは「2.5メートル」から「3メートル」くらいで、

今のアジア象と比べると小さめです。

 

寒い寒い氷河期で生活できるように、皮下脂肪が発達しています。

 

そして、体全体を毛で覆われていたと考えられています。

 

牙も発達しており、オスの牙の長さはだいたい「240センチ」で、

直径だと「15センチ」くらいだったようです。

 

オスに比べると小さいがメスにも牙はあり、長さは「60センチ」で、

直径だと「6センチ」なんですよ。

 

ナウマン象の標本が最初に発見された時代は明治時代の初め頃で、

発見された場所は横須賀でした。

 

ドイツ人でお雇い外国人のハインリッヒ・エドムント・ナウマンさんは、

今で言う東京大学の最初の地質学教室の教授です。

 

その後1921年にも浜名湖北岸で、工事をしていた現場から牙と臼歯と

下あごの骨の化石が見つかりました。

 

3年後の24年に、京都帝国大学の理学部助教授・槇山次郎氏が

ナルバダゾウの新亜種であるとしました。

 

模式標本=静岡県浜松市西区佐浜町とし、日本の化石長鼻類研究の

分かれ目である、「ナウマン」にちなんで、和名で「ナウマン象」

と呼ばれるようになりました。

 

1962年から65年まで長野県にある野尻湖で、4回ほどの発掘調査

でたくさんのナウマン象の化石が見つかりました。

 

野尻湖で見つかるまでは、熱帯性の動物だと思われ、そのためナウマン象

の体には毛は無いとされていました。

 

ですが、野尻湖で見つかってから少し寒い地域にいたことがわかって

きました。

 

東京では1976年、地下鉄都営新宿線浜松駅近くで工事中に、

地下22メートルくらいの所からナウマン象の化石が3体見つ

かりました。

 

この時の化石は、浜松標本と名づけられました。

 

浜松標本には、頭がい骨や下あごの骨などが含まれています。

 

ナウマン象の化石が出てきた地層は、だいたい1万5千万年前

の上部東京層なんですよ。

 

浜松駅近くだけでははなく、それ以外の東京都内では、田端駅や

日本銀行本店、明治神宮前駅などなど、20か所以上でナウマン象

の化石が見つかっています。

 

北海道湧別町東芭露では、1998年には林道沿いの沢で奇妙な

形の石を見つけた人がいました。

 

その人は、隣村から山菜を採りに来ていた漁師さんでした。

 

贈られた湧別町教育委員会は、札幌にある北海道開拓記念館に石が

何なのか調べてもらうために依頼しました。

 

北海道でもマンモスやナウマン象が、生きていた痕跡がありました。

 

マンモスはだいたい6万年前から4万年前と、ナウマン象はだいたい

12万年前に生きていたと考えられていました。

 

だいたい3万5千万年のマンモスの臼歯化石だと発表されましたが、

2002年に琵琶湖博物館で鑑定されました。

 

その鑑定でマンモスの物ではなく、ナウマン象の物だったことが

わかりました。

 

北海道ではマンモスとナウマン象が入れ替わり生きていたと、

新しい事実が明らかになりました。

 

マンモスの絶滅理由は?

更新世の終わりの頃、だいたい4万年前から数千年前には

マンモスやたくさんの大型哺乳類は絶滅しました。

 

最後にいたマンモスは、紀元前17百年頃に東シベリアの沖合、

チュクチ海にあるウランゲリ島で狩られたという説があります。

 

実際の原因は、はっきりとしていませんが、今のところ1番有力

な理由としては氷河期末期で気候が変わってしまったことが原因

なんだそうです。

 

1万年前に寒い寒い氷河期が終わりを迎えました。

 

高緯度地域は気温が、氷河期より10度も上がりました。

 

それ以外だと、人間が狩りをする対象になってマンモスが

絶滅したという理由もあります。

 

もしかすると、伝染病によってマンモスが絶滅したという

こともありますね。

 

いろいろな説がありますが、実際はどんな理由で絶滅したの

かわかっていません。

 

マンモス講座♪

マンモスアパートというのが、日本にあるんですよ。

マンモス学校とかもいいますね。

 

大きい物の形容としてマンモスという言葉が日本ではよく使われますね。