特攻隊の戦果から見える真実!神風特攻隊の手紙(遺書)で号泣。

 

特攻隊で得られた戦果

知りたいと思いました。

特攻隊ゼロ戦の戦果

無念にも死んでいった特攻隊の

青年達は何を思って特攻したの

でしょうか。

 

神風特攻隊の戦果?

生きて帰れない?

とっても、悲しくて涙無しでは見れない手紙…

 

以下は、特攻隊で実際の戦果と

本当の戦果についての動画です。

 

元兵士だった方が語っている、歪め

られてしまった戦果の動画です。

 

真実を知りたい人は、参考

にご覧ください。

 

 

神風特攻隊の戦果?

神風特攻隊って、かなり昔から

あるんですね。

 

特攻隊の戦果の記録がありまし

たので一つずつご紹介します。

 

1:第一神風特攻大和隊
年数は「昭和19年10月21日」
戦果は不明

2:第一神風特攻大和隊
年数は「昭和19年10月23日」
戦果なし

3:第一神風特攻朝日隊
年数は「昭和19年10月25日」
戦果は不明

4:第一神風特攻桜隊
年数は「昭和19年10月25日」
戦果は不明

5:第一神風特攻菊水隊
年数は「昭和19年10月25日」
戦果は不明

6:第一神風特攻大和隊
年数は「昭和19年10月25日」
戦果は大

7:第一神風特攻敷島隊
年数は「昭和19年10月25日」
戦果は敵艦沈没

8:第一神風特攻彗星隊
年数は「昭和19年10月25日」
戦果は不明

9:第一神風特攻若桜隊
年数は「昭和19年10月25日」
戦果は、小と大の2種類です。

10:第一神風特攻大和隊
年数は「昭和19年10月26日」です。
戦果は大

11:第一神風特攻大和隊
年数は「昭和19年10月27日」
戦果は不明

12:第二神風特攻忠勇隊
年数は「昭和19年10月27日」
戦果は不明

13:第二神風特攻義烈隊
年数は「昭和19年10月27日」
戦果は不明

14:第二神風特攻純忠隊
年数は「昭和19年10月27日」
戦果は不明

15:第二神風特攻誠忠隊
年数は「昭和19年10月27日」
戦果は不明

16:第二神風特攻純忠隊
年数は「昭和19年10月28日」
戦果なし

17:第一神風特攻初桜隊
年数は「昭和19年10月29日」
戦果は大

18:第二神風特攻至誠隊
年数は「昭和19年10月29日」
戦果は大

19:第二神風特攻零戦隊
年数は「昭和19年10月29日」
戦果は大

20:第二神風特攻忠勇隊
年数は「昭和19年10月29日」
戦果は大

21:第二神風特攻義烈隊
年数は「昭和19年10月29日」
戦果は大

22:第二神風特攻神武隊
年数は「昭和19年10月29日」
戦果は大

23:第二神風特攻神兵隊
年数は「昭和19年10月29日」
戦果は大

24:第二神風特攻零戦隊
年数は「昭和19年10月29日」
戦果は大

25:第一神風特攻葉桜隊
年数は「昭和19年10月30日」
戦果は甚大と大と小

 

戦果が不明とは・・・

戦果が無しと報告できなかった

のではないか・・・

 

戦果が大というのは疑わしい・・・

ほとんどの特攻隊が敵艦間近に

撃墜されたと聞きます。

 

兵士の士気を落とさないためにも、

戦果がなしとは言えなかった

のではないでしょうか・・・・

 

特攻隊が必要だったとは思えません

 
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生きて帰れない?

やっぱり、生きて帰りたいと思う

のは誰でも当たり前ですよね。

 

私、個人はその時代に生まれな

くて良かったと感じます。

 

特攻隊は、本当に怖いですよ。

 

正式には、「特別攻撃隊」という

んです。

 

特攻隊は当然、生きて帰れる

可能性なんかほとんどありません

 

というよりも、その当時の日本は

生きて帰ることは許されないんですよ。

 

生きて帰ってしまうと、非国民として

扱われてしまう時代だったんですよね。

 

だからこそ、敵に突っ込んでいかな

いといけないんですよ。

 

それで、戦死すれば英雄なんですから。

 

今考えると、変な話だと思います。

 

とっても、悲しくて涙無しでは見れない手紙…

 

特攻隊で突撃をしていった人は、

生きて帰ることはできないです。

 

ということは、死を覚悟して出て

いかなければなりません。

 

だからこそ、大事な人や愛する人、

愛する子供や親・兄弟…様々な人

に対して、伝えたいことを手紙に

書いて送る。

 

送れない場合は、誰かに頼んで

渡してもらう。

 

それか、どこかに隠しておく…など、

いろいろあるとは思うんです。

 

でも、手紙と言っても内容としては

最後の気持ちですよね。

 

遺書を書いて、この世に自分の
生きた証を残すということなんですよね。

 

ちゃんと自分が生きていた証を手紙

という形にして、大事な人や愛する人

、愛する子供や親・兄弟に覚えていて

ほしいということなんです。

 

その中には、まだ20歳にも満たない

ギリギリ少年で悲しい手紙を書かなけ

ればいけない…

 

本人もとても辛かったことでしょう…そして、

それを読む家族もとても辛いでしょうね。

 

神風特別攻撃隊
大和隊員の塩田寛さん
18歳の手紙は両親と妹達へ宛てた
手紙です。

神風特別攻撃隊
第二御盾隊の小松武さん
年齢は書いてありませんでしたが手紙
はお母様に宛てたもののようです。

神風特別攻撃隊
第六菊水隊の伊藤勲さん
20歳の手紙は両親と兄弟に宛てた
手紙です。

神風特別攻撃隊
第七御盾隊第二流星隊員の高須孝四郎さん
23歳の手紙はお姉様に宛てた手紙です。

神風特別攻撃隊
第二御盾隊銀河隊の松尾巧さん
20歳の手紙は両親に宛てた手紙です。

神風特別攻撃隊
第三御盾隊の清水雅春さん
18歳の手紙は両親とお婆様に宛てた
手紙です。

 

以下、その内容です。

→悲しき特攻隊員の手紙(遺書

みな、ご両親やご兄弟への孝行

できなかった事を後悔しています。

 

これらの文章の奥底に秘められた

思いを感じて、潔くお国のために

散っていく姿が本当の姿だったと

はとても思えません。