国際連盟の常任理事国は無能集団!?加盟脱退も戦争優先が真実!

 

国際連盟には、常任理事国

があります。

国際連盟の常任理事国

常任理事国は、任期は無いの

か?そして、仲間になりたかっ

たけどなることができなかった

国もあるんですよ。

 

今度は、国際連盟についても

いろいろと勉強してみましょう。

 

常任理事国は、任期は無い?

常任理事国の仲間になりたかった?

国際連盟について。

 

以下は、常任理事国につい

ての動画です。

 

戦争に勝った5か国のことにつ

いて知ることができる、動画です。

 

常任理事国に興味がある人は、

参考にご覧ください。

 

 

常任理事国は、任期は無い?

国際連盟に加盟をしている国で、

任期が決められていない国

常任理事国という。

 

もともと、1920年に国際連盟

ができたんですよ。

 

以下は常任理事国の加盟、脱退の歴史です。

 
1920年
イギリス フランス共和国 大日本帝国 イタリア王国
1926年
イギリス フランス共和国 大日本帝国 イタリア王国 ドイツ国
1933年
イギリス フランス共和国 イタリア王国
1934年
イギリス フランス共和国 イタリア王国 ソビエト連邦
1937年
イギリス フランス共和国 ソビエト連邦
1939年
イギリス フランス共和国
 

 

1926年には、ドイツが加わり

ました。

 

1933年には、日本とドイツが抜けて

しまいます。

 

翌年の34年には、ソビエト連邦

が加わりました。

 

37年には、イタリアが抜けて

しまいます。

 

39年には、ソビエト連邦が抜

けさせられてしまうんです。

 

46年には、国際連盟が解散

してしまうんです。

 

常任理事国の仲間になりたかった?

国際連盟の常任理事国として、

仲間になりたかった国があった

んです。

 

1か国目:中国
2か国目:ブラジル
3か国目:スペイン
4か国目:トルコ
5か国目:ベルギー
6か国目:ポーランド

 

国際連盟について。

国際連盟って、一言で言って

もわからないと思います。

 

第一次大戦が、きっかけだった

ようですね。

 

アメリカの大統領、ウイルソン氏

平和になるために作ったのが

平和条約の一部でした。

 

国際連盟のルールで、世界の

平和維持と国際協力が目的

んです。

 

1920年に国際機構ができました。

 

国際機構はスイスを拠点にしました。

 

最初は、アメリカは参加することは

しませんでした。

 

もっと詳しく国際連盟について、

見ていきたいと思います。

 

1981年1月8日は、まだ第一次

世界大戦をしている最中でした。

 

そして、ウッドロウ・ウィルソン

大統領は14か条の平和原則

というものを発表したんです。

 

ウッドロウ・ウィルソン大統領は、

アメリカの大統領ですよ。

 

その中の一番最後の14個目に

国際平和機構の設立』というも

のがありました。

 

そして、世界に向けて国際的

平和維持のための機構という

ものを作ろうと呼びかけました。

 

パリで行われた会議で、

連盟設立が大事な会議の

お題の一つになったんです。

 

1つ目:ヴェルサイユ条約
2つ目:サン=ジェントルマン条約
3つ目:トリアノン条約
4つ目:ヌイイ条約
5つ目:セーヴル条約

 

上に書いた5つの条約が、

国際連盟規約になったんです。

 

そして、国際連盟はできました

 

 
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国際連盟は、活躍をしました。

 

ギリシャとブルガリアでの紛争

といった、小さい紛争を解決

せたんです。

 

ですが、いつでも解決できたわ

けじゃないんですよ。

 

第二次エチオピア戦争といった

戦争で、解決させられないケース

もあったんです。

 

1930年代には、第二次世界大戦

がいつ始まってもおかしくない状況

でした。

 

そして、1933年には日本・ドイツの

2か国が国際連盟から抜けました

 

その後37年にはイタリアも国際連盟

から抜けました。

 

その後にも中心的な国が次々と、

抜けていってしまいます。

 

加盟している国が少なくなって

まった状態では、大きな紛争の

解決するには無理だと感じさせ

られてしまいます。

 

それ以前の1925年には

コスタリカが国際連盟運営する分の

お金が払えませんでした。

 

その翌年には、ブラジルが

常任理事国に入りました。

 

入ったまでは良かったですが、

失敗をしてしまいます。

 

それが引き金となり、国際連盟を

次々と抜けていくことになります。

 

そして、1930年代後半から

中南米諸国も抜けていくこと

となりました。

 

いよいよ、第二次世界大戦が

始まりです。

 

それからは、国際連盟に集まった

国々の代表者は帰国することとなります。

 

自分の国が気になるでしょうから、

帰りますよね。

 

そのために、国際連盟の規模

小さくすることになります。

 

ですが、そこに残った一部専門家

委員会の人達の話し合いは続け

られたんです。

 

後は、予算についての話し合いも

開かれたんです。

 

1939年の冬にソヴィエト連邦は、

国際連盟の名簿から消されて

まいます。

 

その理由は、ソヴィエト連邦が

フィンランドを奪ってしまった

らです。

 

戦争が激しくなってきて、今まで

のように話し合いができなくなって

しまいます。

 

ユダヤ系のノルウェー人である、

カール・ヨアヒム・ハンブロが委員長

となります。

 

そして、管理委員会を作ります。

 

戦争中でも関係なく、場所をイギリス

のロンドンやリスボンに移動して

話し合いを続けました。

 

その後は、戦争の影響により職員が少なく

なったり、予算不足によりその

活動は次第に小さくなっていった。

 

その中でも新しい国際組織を設立する計画

議論は絶えず行われており、それが後の

国際連合となるのである。

 

第二次世界大戦が終わり、1946年4月に

国際連合が発足すると、国際連盟の解散

資産の国際連合への引き継ぎが決定された。