鎌倉幕府を開いた人は源頼朝!跡地の場所!鎌倉駅より徒歩15分以内

 

鎌倉幕府を開いた人は誰でしょう。

そう、あの有名な人です。

源頼朝さんですよ。

 

 

鎌倉幕府の跡地の場所は?

あの有名な鶴岡八幡宮のすぐ近くです。

 

鶴岡八幡宮は鎌倉駅より徒歩10分くら

いですね。

 

その奥に鎌倉幕府の跡地があります。

 

ですので、鎌倉駅から徒歩で約15分

ほど歩けば、到着できますよ。

 

住所は、神奈川県鎌倉市雪ノ下

3ー11ー45 ですよ。

 

 

 

○鎌倉幕府を開いた人は?

○鎌倉幕府の跡地の場所は?

○鎌倉幕府のしくみとは?

○鎌倉幕府で悪党?

○鎌倉幕府講座♪

 

以下は、(鎌倉幕府で悪党?)と

いう動画です。

 

 

鎌倉幕府を開いた人は?

鎌倉幕府を開いた人は、源頼朝で平安時代の終わり頃

から、鎌倉時代の最初の頃の武将で政治家なんですよ。

 

鎌倉幕府の跡地の場所は?

鎌倉幕府の跡地の場所は、

「神奈川県鎌倉市雪ノ下3ー11ー45」

なんです。

 

そして、鎌倉幕府跡地の散策ができるんですよ。

 

鎌倉駅から鎌倉幕府跡地、そして鎌倉幕府を開いた源頼朝

のお墓などなどを散策できるんです。

 

鎌倉幕府のしくみとは?

鎌倉幕府のしくみとは、何なのかについてわかりやすく

説明をしていきますね。

 

鎌倉幕府とは、源頼朝が開いたということは書きましたね。

 

 

そして、鎌倉幕府で最初に出てくるのは「御家人制度」

ですよね。

 

源頼朝=征夷大将軍で鎌倉幕府では、1番偉い人という

ことで、その人の家来になった人を御家人とします。

 

お互いがお互いを持ちつ持たれつの関係として、源頼朝

から御家人へは、本領安堵と新恩給与を。

 

その対価として御家人から源頼朝へは、軍役や番役や

関東御公事などでお返しをしていました。

 

鎌倉幕府でできた役職は、1192年・源頼朝が征夷大将軍

に任命され「将軍」という役職ができました。

 

1203年には、将軍の次に偉い人で「執権」という役職

ができました。

 

1180年には、最初の人は・和田義盛で軍事や警察や御家

人などをまとめる担当部署「侍所」という役職ができました。

 

1184年には、最初の人は・大江広元で一般政務や財務など

を担当する部署「公文所」

(→1191年には、「政所」に名称が変わりました。)と

いう役職ができました。

 

1184年には、最初の執事は・三善康信で裁判を担当しま

した「問注所」という役職ができました。

 

1185年には、京都にいる御家人をまとめや朝廷との交渉、

鎌倉幕府との連絡や警察、裁判など幅広い担当「京都守護」

という役職ができました。

 

1185年には、九州の御家人をまとめていた「鎮西奉行」

という役職ができました。

 

1189年には、東北の御家人をまとめていた「奥州総奉行」

という役職ができました。

 

1185年には、最初は惣追捕使や国地頭、諸国にも置かれて

いて大犯三か条、在庁官人の支配が任務していた「守護」とい

う役職ができました。

 

1185年には、土地の管理や年貢を集めたり、警察権を使え

る「地頭」という役職ができました。

 

昔は1192年に鎌倉幕府が成立したとされていましたが、

今では1185年と教科書にも書かれています。

 

鎌倉幕府は、将軍と御家人との助け合い、そして幕府を強化

し信頼を得ていくために、様々な役職を設け上手に運営して

いたんですね。

 

鎌倉幕府で悪党?

鎌倉時代の終わり頃以降に、幕府などに反抗する人を悪党と

言われていました。

 

これが悪党の語源かもしれませんね。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。